「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部」が設置された件

2018年10月29日 | から管理者 | ファイル: 働き方改革関連法, 厚生年金保険法, 国民年金法, 高年齢雇用安定法.
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標記本部が、平成30(2018)年10月22日、厚生労働省に設置されました(厚生労働省 「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部」)。

厚生労働省の分割の検討との関連は?

一方で、8月から9月にかけて、厚生労働省の分割の検討が政府においてなされているという報道がありました。省庁が同じでないと改革が進められないというわけではもちろんありませんが、では、旧厚生省と旧労働省の合併は一体何のためだったのだろうという感じもします。
厚生分野の基幹政策ともいえる社会保障と、労働分野の直近の最優先課題である働き方改革とは、あらためて指摘する必要もないほど、密接に関連する分野だからこそ、厚生労働省という一つの省庁内に所管が置かれているわけで、あらためて「本部」なるものをつくる必要もないのでは、という気もします。2040年を見据えるという長いスパンの話であるため、省庁が分割されることを念頭に置いたものなのでしょうか。

検討が進められる60歳代後半の雇用

さて、少し話をブレイクダウンすると、最優先の課題は「雇用」と「年金」との接合といったところに集約されてくると思われ、現在行われている未来投資会議でも、まずは高齢者雇用の促進が議論されているところです。70歳までの就業機会確保の進め方については、義務化といった厳しい規制ではなく、努力義務やそれよりも自由度の残るしくみとすべきではないかという方向性も示されました(平成30年10月22日 第20回会議配布資料)。

60歳代前半の雇用はどうだったか

年金の支給開始年齢が60歳から65歳へと段階的に引き上げられていますが、この改正が始まったのが平成13(2001)年でした。昭和16(1941)年4月2日以降に生まれた方が60歳になったこの年から61歳支給となったわけです。もっともこの段階では、61歳支給となったのは定額部分のみで、報酬比例部分は60歳から支給されていました。したがいまして、完全に無年金状態になったわけではないのですが、この段階では、65歳までの雇用確保は努力義務で、雇用と年金は接続されていませんでした。
その後、少し遅れて平成18(2006)年から65歳までの雇用確保措置(希望者全員ではなく労使協定で基準を定めることが可能)が義務づけられました。報酬比例部分はあったものの、年金が先行、雇用が後を追うという構図で、「一体改革」とは言えないものだったわけです。

その後、定額部分も61歳支給が開始されて、文字どおり無年金状態となる期間が生じる平成25(2013)年の段階では、希望者全員を再雇用するというさらなる改正が行われました。この際には、昭和28(1953)年4月2日以降に生まれた方が60歳になるタイミングと合わせて、無年金状態と希望者全員雇用が開始されたわけですが、年金の支給開始年齢の引き上げはかなり昔に決まっていて、なんとか高年齢者雇用安定法の改正をそれに合わせた、といったものでした。

別れても、密接な課題

今回設置された「改革本部」は、こういった過去の反省を踏まえているのでしょうか。無収入となるリスクを考慮すると、当然、雇用が先で年金が後、少なくとも雇用と年金は同時に検討されるべきであることは明白です。

新たに厚生労働大臣に就任した根本大臣は、年金受給開始年齢の引き上げは考えていないと発言されたとの報道がなされていて、当面70歳以降の選択制を検討していくようです。一方で、雇用についても上記のとおり検討の方向性が示されていて、今後の検討の進み具合はよってはどうなるかわかりませんが、どうやら雇用が先行していきそうな状況のようです。

もっとも、厚生労働省が発足したのが年金の支給開始年齢の引き上げが開始された平成13年のため、その検討や改正は、旧厚生省時代に行われたわけです。今後、厚生労働省が本当に元に戻るのかは不明ですが、いずれにしても「雇用と年金」をはじめとした「労働政策」と「社会保障」については、一体的に議論を進めていっていただきたいものです。


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